知的財産権制度の意義
知識から得られる経済的利益は、その知識を創造するために投資を行った経済主体以外の者によって、市場における取引を介することなく享受されることがある。例えば、企業が研究開発を行って新たな技術知識を獲得しイノベーション▲を導入すると、その知識は簡単にライバルに伝達され、イノベーションを模倣されることがある。このとき、イノベーションが生み出す利益の専有可能性(appropriability)▼1は低下し、研究開発投資に対する企業のインセンティブ(誘因)が損なわれる。この場合の知識のように第三者による利用を排除できない性格をもった財を「公共財」という。知識が主要な生産要素となる知識経済▲の到来は、知識がもつ公共財的な性格に対応するための制度的な取り組みが、ますます重要となることを意味しているのである。そして、そのための主要な制度のひとつが、知的財産権にほかならない。
知的財産権とは、知的生産活動の成果物=知識に関する権利である。日本では、その同義語として、しばしば知的所有権という用語が使われることがあるが、所有権とは民法では有体物に対する支配権を指すのに対して、知識は無形の資産としての性格をもつので、ここでは慣用表記を例外として知的財産権という用語を採る。知的財産権にはさまざまな種類の権利が含まれ、そのうち特許、実用新案、意匠、商標の4つを工業所有権と総称することがある。こうした技術的創作物や営業標識に関する権利のほか、著作権が知的財産権に含まれる。
イノベーション政策への取り組みにおいて、特許制度のもつ意義は特に重要である。特許制度は、発明者に対して一定期間、排他的な独占権を付与して発明を保護する一方、発明の内容を公開させることによって技術の普及を促すという相反する2つの目的を併せもった制度である。仮に発明の保護という目的を重視して、権利期間が長く特許請求(クレーム)の範囲が広い「強い特許」を成立させれば、専有可能性が拡大して研究開発投資へのインセンティブも高まり、画期的(ラディカル)なイノベーションが促進されるかもしれない。しかし、このことは同時に、産業内部での技術知識の共有を基盤とした漸進的(インクリメンタル)なイノベーションを阻害する可能性を孕(はら)んでいるのである。この2つの効果のいずれが強く作用するのかは、国ごとに異なり、産業によっても大きな差異が現れるであろう。特許制度の影響力は、その国が保有する競争政策とのバランスの上に決定される。また各産業において、どのようなタイプのイノベーションが中心的な役割を果たしているのかは、その産業の成熟度によって異なるからである。したがって、特許制度に関する政策は、こうした制度間の補完関係や、産業の成熟段階などを考慮した上で決められなければならない(永田、2002)(*15-1)。
変化する知的財産権制度
しかし、一方で各国の知的財産権制度は、知的生産活動のグローバル化に伴い、国際的な相互関係の中での変化を余儀なくされている。近年の特許制度については、アメリカに牽引される形でプロパテント(特許重視)政策への流れが形成されている。アメリカでは、1980年にバイ・ドール法が制定され、連邦政府の資金で大学が研究して得られた特許について、大学への帰属が認められるようになった。また、1982年には特許関係の紛争を扱う控訴裁判所(CAFC)が設立され、以後、特許侵害が認められるケースが増加し、賠償金額も大幅に上昇した。
アメリカが、このように特許を重視する政策への転換を図ってきた背景には、自国の産業競争力の凋落に対する危機意識があった。1985年に大統領産業競争力委員会が発表した報告書(通称「ヤング・レポート▲」)では、積極的な競争力強化政策の一環として、知的財産権の保護強化が挙げられた。その後、スペシャル301条(知的財産権侵害国の特定・通商制裁)の規定に見られるように、アメリカは知的財産権の保護強化を通商政策の柱として位置付け、こうした政策の展開を背景として、アメリカ企業が日本企業などを相手取って特許侵害訴訟を起こすといった特許紛争が頻発するようになったのである。また、1998年にはCAFCがステート・ストリート・バンク事件▼2について下した判決においてビジネス手法に特許性を認めたことに端を発して、いわゆる「ビジネスモデル特許」が注目を集めた。
日本の知的財産権制度に関する近年の主要なトピックのひとつは、「大学等技術移転促進法」が98年に施行され、99年には日本版バイ・ドール法と呼ばれる「産業活力再生特別措置法」が制定されたことである。
これより、大学における発明の特許化を支援して企業に移転し、実施料収入を大学に還元させることを業務目的とする技術移転機関(TLO:Technology
Licensing Organization)が各地の大学等に設立され始めた。TLOを媒介として発明の利益を循環させる仕組みは、「知的創造サイクル」と呼ばれている[★15-1]。特許庁による承認・認定TLOは、2002年5月現在で28機関に達したが、アメリカのTLOに比べると20年近い経験の格差があり、まだ顕著な成果を数えるには至っていない(後藤・永田、2001)(*15-2)。アメリカでは、大学等からの技術移転によって年間200億ドルもの事業活動が確保されているとの推計があり、日本のTLOに対する期待も高まっている。
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