システムとしてのイノベーション
イノベーション▲とは、その重要性に初めて注目したJ・A・シュムペーター▲の定義に従えば、経済発展の原動力となる諸資源の新結合である。彼は、主著『経済発展の理論』(1926)の中で、イノベーションの類型として、新製品の開発(プロダクトイノベーション)、新工程の導入(プロセスイノベーション)、新市場の開拓、原材料などの新たな供給源の獲得、および新しい産業組織の実現の5つを挙げている。イノベーションの同義語として、しばしば「技術革新」という語が使われているが、この語が含意する類型は新製品と新工程の2つに限られる。すなわち、技術革新とは、狭義のイノベーションを意味する語である。
ある産業において製品の支配的デザイン(dominant design)▼1が確立すると、やがてその産業は成熟段階を迎える。そして、成熟期の産業ではプロセスイノベーションをめぐる企業間競争の活発化に伴って生産性は向上するものの、他方、プロダクトイノベーションは創出されにくくなるという傾向が現れる。企業は、この「生産性のジレンマ」と呼ばれる現象を克服し脱成熟を追求する過程で、イノベーションを連続的に生み出していくための組織的な努力を注ぐようになった。これをイノベーションの制度化という。かくしてイノベーションの中心的担い手となった企業は、政府、大学等の諸制度との間で、知識をはじめとする諸資源のフローを伴うインタラクション(相互作用)を形成する。このインタラクションが行われる諸制度のネットワークを一国における有機的なシステムとしてとらえたときに与えられる全体像が、「ナショナル・イノベーションシステム(NIS)」である。
NISの概念は、80年代の後半にC・フリーマン、R・R・ネルソンらによって提唱された。フリーマンは、NISを「新しい技術の開発、導入、普及に関連する私的・公的セクターのネットワーク」と定義している(フリーマン、1987)(*51-1)。この概念は、イノベーションの研究者のみならず、次第にOECDメンバー国の科学技術政策担当者の注目を集めるに至った。その背景には、イノベーションの促進を目的とする科学技術政策の立案においては、経済、雇用、教育などにかかわる多様な政策との整合性に配慮しなければならないという認識の高まりがあった。そのような政策の前提として、イノベーションプロセスを諸要素の単なる集合には還元できない全体性をもったシステムとして把握する視点が要請されたわけである。
近年のNISに関する研究は、なぜ国ごとに異なったイノベーションシステム[★51-1]が存在するのかという問いに答えようとする過程で、いくつかの重要な知見をもたらしてきた。第一に、NISは各国の歴史的背景によって大きく異なる経路依存性▲(path
dependency)▼2をもち、その意味で進化的なシステムとしてとらえられるという点である。第二に、システムの進化は、制度のあり方が技術に影響を及ぼすばかりでなく、同時に技術が制度を規定するという側面をもった共進化(coevolution)▼3のプロセスとして描かれるという点である。したがって第三に、システムを構成する諸制度は、合理的に設計された「ルール」ではなく、進化的な均衡状態にあるものとして定義される。そして第四に、それらの制度ないしNISを構成する主要なプレーヤー(企業、政府および大学)による相互作用の形態や強度の差異によって、多様なNISが形成されているという事実が発見されている。
日本のイノベーションシステム
日本のイノベーションシステムに見られる著しい特徴は、企業による旺盛な研究開発活動である。1999年度の日本における研究開発費総額に占める民間部門の負担割合は実に78パーセントであり、これは同年のアメリカやEU諸国のレベルを大きく上回っている。このような研究開発投資へのインセンティブ(誘因)には、メインバンク・システムや株式の持合といった慣行の下で長期的な成長を経営目標とした意思決定が可能であったことや、資本コストが相対的に低いことなどが寄与してきた。また日本企業は、高い大学進学率によって、若年の研究開発人材の供給にも恵まれてきた。企業の内部では、長期勤続を前提としたジョブ・ローテーション(配置転換)を通じて異なる職能部門間での知識共有が促進され、その結果として研究開発部門と他部門との効率的な連携関係が維持されてきた。さらに、研究開発の外部環境である知的財産権制度は発明者利益の保護よりも技術の普及を重視する傾向にあったため、先端的な技術知識が速やかに産業内部に浸透した。
第二次大戦後の日本企業は、こうしたシステムの下で欧米の先端技術を急速に導入し、そのインクリメンタルな改良にとどまらず、鉄鋼、自動車、エレクトロニクスなどの産業分野では独自のイノベーションも実現してきた。しかし、欧米先進国へのキャッチアップを完了し、フロントランナーの位置を占めるに至った日本企業は、新たな産業の創出に結びつくラディカルなイノベーションの実現という課題の前に立たされている。日本のNISは、その進化プロセスの大きな岐路に直面しているのである。
|