価値を生み出す「信頼」
「社会資本」という語は、大別すると2つの意味で用いられている。ひとつは経済学者や経済政策担当者らによる用法であって、生産活動や生活に不可欠ではあるが、公共財としての性格をもつために私的利潤を追求する民間企業の投資のみでは不足してしまう資本を意味しており、その実体には公共事業の対象となる、道路や港湾などのさまざまなインフラストラクチャーが含まれる。もうひとつは、近年の社会学、経営学、政治学などの研究領域において採られている用法であって、共同体ないし集団の諸力の基盤となる協力的な人間「関係」を意味している。この項では、社会的関係資本とも表現される後者の概念について説明する。
協力的な人間関係が社会資本と呼ばれ得るのは、それが新たな価値を生み出す機能をもっているからである。そして、そのような協力関係は、共同体や集団を構成する成員相互の信頼(trust)に基づいて成立している。例えば社員同士の信頼関係がある企業では、業務がスムーズに処理されることによって生産性が高まり、結果的に業績も向上するであろう(プルサックほか、2001)(*16-1)。
政治学者のフランシス・フクヤマは、このような信頼の機能を、冷戦終結後の自由市場経済における繁栄の鍵を握るものとして重視している。彼によれば、信頼とは「コミュニティの成員たちが共有する規範に基づいて規則を守り、誠実に、そして協力的に振る舞うことについて、コミュニティ内部に生じる期待」であり、この信頼が社会的に広く行き渡っていることから生じる能力が「社会資本」として定義される(フクヤマ、1995)(*16-2)。また、彼は典型的な高信頼社会の事例が日本に見られるという。日本の自動車メーカーが完成したリーン生産システム▼1では、組立ラインの労働者に多くの意思決定権限が与えられており、このシステムを支える系列の下では、組立メーカーとサプライヤー(部品供給業者)の長期的な取引関係が結ばれている。こうした日本的経営の特質は、多様なコミュニティを存続させてきた高信頼社会を背景に創出されたのであり、ひいては高信頼社会こそが同族経営にとどまらない大企業の存在を可能にしてきたというのである。
この点については、日本的な集団主義社会では、いったん信頼関係が成立すれば、その内部で安心していられる環境が生み出されるが、その環境が集団の枠を超えた一般的な信頼の醸成を阻害するという議論もある(山岸、1998)(*16-3)。また、過剰な社会資本の存在が、集団思考(groupthink)▼2などの逆機能をもたらす可能性も指摘されている。現実に医療や食品衛生管理をめぐって頻発している近年の事件は、高信頼社会と呼ばれた日本の社会システムのゆらぎを露呈している。これらの点に関連して、社会資本としての信頼の機能については、なお探求すべき研究課題が山積しているのである。
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