分離できないものを考える
複雑系では、これまでの科学的手法が前提としてきた3つの分離、すなわち、「部分やレベル」、「オペレータとオペランド」、「観測と観測対象」の分離を問い直す。本稿ではこれらの「分離不可能性」を考察することで、相互作用と多様性に基づいた動的で開かれた世界観を志向する、複雑系の輪郭を浮かび上がらせ、知識科学研究における複雑系の意義を考えてみたい▼1▼2。
複雑系研究は、対象となるものの部分やレベルの分離ができないという問題をあらわにする。これまでの手法の代表である要素還元的▼3な考えでは、対象とするものごとの時間的・空間的なレベルを限定し、注目するレベルよりマクロな(大きな)ものは静的なものとして扱い、対象レベルよりもミクロな(小さな)ものはランダムなものとして近似したものとして考える場合が多い。しかし、このような系のある部分に生じた小さな変動が、系全体へと伝播・拡大されるならば、レベルの分離、部分系への分解が不可能になる▼4。
例えば、ある社会の構造と、その中での個人の振る舞いを、社会構造の生成・変化までを含めて考えるとき、個人というミクロと、社会というマクロを単純に切り離すことはできない。マクロな社会構造は個人の行動に影響を与えるが、家族、組織、地域コミュニティといった社会全体より小さなレベルでネットワーク的関係をつくる個人は、そのさまざまなレベルにおける規範や制度といったルールの影響も受ける。一方、多くの組織や社会における構造は、複数の個人の行動をきっかけとして変化し始め、ある変化はより大きなレベルの構造的変化へとつながる。そのような系では、多様な要素・レベルが相互作用し、その関係自体が時間的に変化するというダイナミックなミクロ・マクロ・ループをなす。結果として、ひとつの要因とひとつの結果が単純にそして静的に結び付くのではない、多対多の因果や経路依存性といった性質をもつことになる。
作用するものと作用されるもの
ある対象の動きを、状態とその動きを表す関数に分ける、あるいは、何らかの機能を持ったブラックボックスと、それへの入出力の関係で記述するという方法が用いられる。すなわち、対象をオペレータ(作用するもの)とオペランド(作用されるもの)へと分離させるのである。しかし、例えば、ある系の動きがその系自身に働きかけ、また、その系を変化させるような自己言及・自己改変的な状況があるならば、この分離は必ずしも自明ではない。
言語による会話というダイナミックな相互作用を考えてみよう。会話における言葉の使い方はその場に応じたある種のルールがある。この点に着目すると、オペレータとしての会話ルールと、オペランドとしての実際の発話があり、会話ルールという関数に入力変数として発話を代入すると、返答の仕方が出力されると考えることができる。しかし、方言や流行り言葉の変化していく様子、あるいは、もっと短期間にある会話中にさえ、発話をどう解釈すべきかが変わるようなことがある状況を考えると、そのルールは会話以前の状況によって完全に決まっているのではなく、紡ぎ出される発話によって構成され、変化していくことが分かる。すなわち変数のダイナミクスにより、永遠に不変であると仮定されていたはずの関数自体が変化するということになる。コミュニケーションや、生物や社会の進化・発達という自己改変的性質をもったルールが創発し変化していくような、いわゆるオープンエンドな進化や「ルールのダイナミクス」を示す現象を十分に理解するためには、「変化しないオペランドと変化するオペレータ」という枠組みを超える必要がある。
観測者と観測対象
複雑系研究が問い直すもうひとつの「分離」は、観測者と観測対象の分離である。対象について再現可能で客観的な科学的記述をなすために、観測の影響を廃した対象の測定が必要である。しかし、微小なノイズが拡大されてしまうカオスが存在するならば、これは必ずしも可能とは限らない。また、生物は「主体性」をもった存在であり、あるひとつの状況においても異なる反応をなし得るため、再現可能性を前提とすることは困難である。そして、観測・記述すること、あるいは、研究や調査を行いそれを発表することそのものが、対象に影響を与えてしまう可能性がある。よって、主体性をもった「観測者」自身が対象となる系の中に存在するような、観測者と観測対象が分離できない事態や、記述不安定性▼5(津田、2002)(*33-1)を扱わなくてはならないのである。
これまで述べてきたような分離不可能性をもったものとして、世界を見ることから複雑系研究は始まる。すなわち、複雑系は対象そのものではなく、それを見る見方の中にある。しかし、そのような分離不可能性を扱うから、これまでの還元論的・科学的手法をすべて捨て、全体論的・生気論的思考をもつべきだと主張しているわけではない。複雑系研究が重要なのは、単にこのような二項対立の間を振れるのではなく、これらを止揚した新たな世界観をつくろうとしている点にある。それは、コンピュータを思考の道具とした構成論的手法によるリアリティの創造や、カオス的遍歴▲、ホメオカオス▲▼6、多対多の論理、オープンエンドな進化などのダイナミックで生成的な世界観の提示である。
複雑系としての言語進化と知識
複雑系研究の例として、言語の起源と進化の問題▼7がある。これは、生物進化、学習、文化の伝達と進化という、タイムスケールとレベルが異なる3つのダイナミクスが絡み合ったシステムである[★33-1]。つまり、言語が創発するには、それに必要な認知能力が進化しなくてはならず、コミュニケーションが可能な言語を学習により獲得し、その語は多くの主体間の相互作用により変化していく。この3レベルの多重の相互作用が「進化的反復学習モデル」により研究されている(Kirby
and Hurford, 2001)(*33-2)。これは、一部の個体が消滅・生成しながら世代を超えて言語を伝える過程をモデル化している。この成果として、言語自体が適応し進化するシステムであることが主張される。すなわち、言語を獲得できるように主体が進化し、獲得され運用可能なように言語もまた進化し、その結果、言語自体のダイナミクスが生じるのである。まさに、オペレータとオペランドが不可分な系である。
また、言語の主体的活動という点に重点を置き、言語のダイナミクスを研究するアプローチとして「動的言語観」が提唱されている(Hashimoto,
1998, 2001)(*33-3、*33-4)。それは、言語を用いる主体が意味を創造する動的な過程として言語をとらえ、主体の内的なダイナミクス自体を意味作用とする立場である。この考えを基にしたモデルでは、個体内部の構造の発達と集団レベルの構造の間にダイナミックな相互作用ループがあり、両レベルが常に変化するオープンエンドな進化が観察される。ここでは、安定性と適応可能性、個別性と共有性という言語のもつ重要な性質が実現されている。
最後に、ここでみた複雑系の観点から知識を論じてみよう。知識は人間の知る活動、知識創造というプロセスによる判断や意味づけの対象であるが、その基盤となるのはすでに個人の中にある知識である。すなわち知識は、意味づけの対象であり基盤であるというオペランドとオペレータの二面性をもつ。また、主体が自分の知識の表象自体を考察の対象とし、知識表象を更新していく自己改変的プロセスは、認知活動に重要である(カミロフ-スミス、1992)(*33-5)。そして、知識は個々ばらばらに存在するのではなく、ネットワークをなし、常に動的にその関係・構造が動いている。特に、社会や組織における知識は、他者の知識と結合し、知る活動としてアクティベートされてこそ意味をなす(江頭、2002)(*33-6)。知識科学は、このような特性をもった知識や知識創造という活動を対象とする研究であり、人間の主体性を考慮に入れ、複雑系としての特性を研究することに積極的な意味が見いだされるであろう。
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