わざについて
我々は日本の伝統的技術あるいは技術者の知を分析し、科学技術を背景とした現代社会に「匠の知」を生かすことを考えている。匠の知というと「わざ」という言葉が浮かぶが、最近は英文でも「Waza」が用いられるようになった。「Ippon」のかけ声とともに柔道を通じて、国際性を得た日本語と言えよう(山口修、2000)(*22-1)。
我々が「わざ」と認識したものの内容を言葉で人に伝えようとした場合、正確に伝わらないことが多い。柔道に限らず、楽器演奏者など運動にかかわる技術は言葉による指導だけでは難しく、実演による指導と練習に時間をとられることが多い。このように身体で覚えた知を「身体知▲」▼1と呼んでいる。では、この身体知を多く持っている選手あるいは演奏家が優れたプレーヤーになるのだろうか? この答えは大変難しいが、優秀なプレーヤーは、ほぼ例外なく優れた身体知(および身体能力▼2)を有していると言えそうである。
このように「匠の知」というと一般には人より優れた、鍛え抜かれた「わざ」を、工芸であれば人間国宝クラスの人のもつ技術を思い浮かべるであろう。これらは狭義の「わざ」である。これら限られたものにのみ許されるわざのほかにも、箸を持つとか、二足歩行ができるなど生得的な、ほとんどの人が有しているものもあり、これらを含めた広義の「わざ」の存在も考えられる。これら二足歩行、箸の使用などは乳幼児期に大変な努力をした結果、修得したわざと言えよう。しかし修得後ではその修得時の努力あるいは指遣い・足遣いを意識することはほとんどないであろう。
わざわざ「広義のわざ」をもちだしたのは、人間以外の生物もわざをもっていると思うからである。たとえば、クモの巣はどうだろうか。空中に張られたクモの巣は人間から見てもわざといって良いのではないだろうか。このように、本能的に裏づけられたわざ? もあるが、ここでは工芸にかかわる狭義のわざに注目する(岡田節人、2000)(*22-2)。
宮大工の知
日本の建築技術も歴史的(在来工法)には中国伝来のものが多く、古代の寺社仏閣もそうだが、日本の環境と文化風土に合わせて、日本固有の形式を生み出している。その良い例が日本の温帯モンスーン気候の特徴である多雨気候に合わせた深い軒(のき)である。それに伴って屋根につけられた「軒反(のきぞ)り」に宮大工の美意識が凝縮されているように思われる。この軒反りは技術的には大変難しいもので、俗に「雀と大工は軒で泣く」といわれている。それにもかかわらず、屋根を載せる垂木(たるき)という部材に反りが入れられることによって、ほぼすべての建造物の軒には反りがつけられている。切妻屋根はまだ良いのだが、入母屋(いりもや)造りや寄棟造りでは前後の屋根とサイドの屋根とがクロスするので、2つの屋根がぶつかる角の部分の垂木の造作は、軒反りがついているだけでも大変になる。彼らはさらに垂木が等間隔に見えるように、垂木の間隔をも微妙にずらして、視覚的に等間隔になるように施工している▼3。これなどは日本人に特有な繊細な美意識の発露であろう(松浦昭次、2000)(*22-3)。
木造建築で世界最古のものは奈良の法隆寺の五重塔▼4で、世界遺産にも指定されている。およそ1300年前に建立されたというのが今までの通説になっている。木造建築物は火災には弱いが、気候風土に合わせ深い軒とか礎石など、多湿多雨の条件をクリアするための設計が施されている[★22-1]。また耐震構造をとっており、そのため幾たびかの大地震にも耐えてきたのだ。その特徴は梁を用いた軸組構造という柔構造と柱の鉛直(えんちょく)性(重力の方向に建っている)である。これらは現代の日本の高層建築物設計の指針を与えたことでも有名である。このように、千年以上も昔の工人の知恵が現代にも生かされているのである(西和夫、1990)(*22-4)。
わざを現代に生かす
前述したようにいろいろなわざが知られている。これを生かす方法としてコンピュータの活用がある。酒造りにおける杜氏(とうじ)のもつ経験知▲をパソコン等に取り込み、知識データベース化する作業がいくつかの酒蔵で進んでいる。これらは生き物である酵母のもつ数多く環境変化を整理し、酵母の活動状況についての経験豊かな杜氏の判断基準をマトリックス化して、準熟練者にも管理可能な作業に形式知化する作業である。これ以外にも金型工など、熟練工の身体知を形式化する試みが製造工業において盛んに行われている。
また、京都を中心とした染め織物業界においては、悉皆(しっかい)業(織物に関しては織屋)という知識コーディネーターの存在が知られている。また、漆器においては塗師(ぬし)屋がコーディネーター役を果たすと同時に、「旅」といわれる行商を行っている。これは現代のソリューションビジネス▲の原型といえよう。さらには彼らのもつ身体知は徒弟制▼5という教育システムを通じ、創造性が発揮できる知識として伝承されてきている。知識科学はこれらのような、「古き(知識)を知って、新しき(技術あるいはビジネス)を知る(創る)」ことを目標として、匠の知の解析を行っている。
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